2012年03月09日

国家の責任






 日本人には「事なかれ主義」という国民的体質が国全体で起きている。人は美しいものに惹かれ、その美しさの陰に隠れている真実を知るということは嫌なことである。

 そして人情を考えれば、辛く厳しい現実もあり、その真実を通告するということは確かに辛いことである。

 が、しかし、物事によっては例え一時的に嫌な内容であってもかえって伝えることによって、長期的には本人たちのためになるということもある。そのような時に、心を傷つけるということと、本質的に本人たちにとって結果的に良いこととの、どちらを選択するか・・・

 国民の生活と安全を守るべき使命のある国家は、やはり何世代先の将来的な子孫の生活と安全も考慮して物事を進めなければならない。一時的な感情に流され場当たり的な対応をする事によって、もし子孫にとって不利益を被る可能性がある場合には事を慎重に運ばなければならない。

 それが、今回問題になっている放射性廃棄物である。なぜ放射性廃棄物が他の廃棄物と一線を画すかというと、それは人情や差別からではなく放射能という部分に大きな問題がある。

 放射能(wikipediay)にも書いてある通り、放射能と言うものはたちが悪く、特に半減期(放射性元素の原子数が崩壊によりたった半分に減るまでの時間)は特にウラン238は45億年、プルトニウム239は2万4千年と物質によっては壮絶な年月がかかる。

 もし、放射性廃棄物やその焼却灰が雨で濡れ、その水が川に流れ、強いては飲料水などに使用される川の水が被曝する恐れがあるのならば、保存する場所を選ばなくてはならない。すなわち、今回発生した放射性廃棄物が使用済み核燃料と同じような環境への影響を与えるならば、慎重な扱いをしなくてはならなくなる。

 それを調査し検証し、正しい放射性廃棄物の環境への影響に対する調査結果をきちんと公表し、無害であるならば一般産業廃棄物と同様の扱いをし、もし残念なことに高濃度の放射能の影響が出るというのなら、それ相応の対処をしなくてはならない。

 その点を正確に検証、判別せずに義理や人情でお助け心満載で全国の都道府県がそれを受け入れ、ばらばらのやり方でそれを保存するとなると、厳しいことを言えば放射性物質を日本全国にばらまく可能性が出てきてしまうということなってしまう。

 真に国民を憂い、それをきちんとした正しい方向に導くことこそが国家の責任であるだろう。
posted by WHO IS I ? at 17:49| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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