2015年10月31日

資本主義に反する未来

夜、帰宅途中で見える、とても大きい赤黒い月を見ると、地獄の入り口かと思う。

いくら、いろいろ工夫してあの手この手の景気浮上策を試しても、病と一緒で、病気の原因を治さなければ病状は回復しない。

それは経済状態にも、同じことが言える。

経済学の教科書にあるように、国家が経済の形態を、どのような形にとっているのかによって、改善方法も違ってくる。

資本主義につきものなのが、貧富の差だが、資本主義というものは、またその究極の不平等を利用して、人間の性である”欲”というもので、人々の生産、行動意欲を生み出すというものでもある。

そのため、”富”の側に回ったものには満足感、優越感、安心感が与えられ、資本を増やし労働も軽減されるという安定を得ることができ、”貧”の側に回ったものは悪条件と不安の状態に置かれ続ける。

人間というものは浅はかなもので、これが独裁国家によって強制された格差だど反抗するが、自由選択を与えられたと思い込んでいるものは無条件に、何も疑問を持つこともなく受け入れてしまう。

貧富の明確なボーダーは不明瞭だが、”富”の側にいると思っている人間は、”貧”がどれだけ増え、困り果てようとも、自由意思による選択の末の自己責任と思い込み、自分たちには責任も関係もないと思っている。

そのため、”貧”の影響が増大し続けていても、真に自分たちを脅かすまで、無関係を装い放置し続けていく。放置され進行し続けていく”貧”の影響は、病に似て、手遅れにならないと本当の病状の深刻さは表に出てこないために、気が付かないのかもしれない。

100%に達し死を迎えるまで、気が付かない場合だってあるし、うすうす気が付いているが放置してしまう場合もあるように。

人間の人生の中で、やはり購買意欲と購買量が高いのは若いときである。子育てをしていれば家族中全体で、消費量が高いことになる。それに比べて、いくら意欲があっても現実的に消費能力が落ちてしまうのが、高齢者である。

そのため、若い世代が収入が低いために”我慢”を強いられ、消費を抑える状態が続けば、全世代での”低消費”状態が続いていくことになり、全体の消費能力が落ち続けていく。

すると、生産量も必要なくなり、全人口の生産・消費サイクルをどんどん縮めていくことになり、せっかく戦後、技術革新や労働条件の安定の確保により、人口増加、消費力を向上させてきたものを、すべて欲の深い経営側に、やりたい放題の労働者たちの搾取と人権侵害すれすれの悪労働条件を許し続けている国家によって、”無”にしようとしているだけでなく、”マイナス”にベクトルが向き始めている。

簡単な算数で分かるように、国家経済が戦後、英知と努力で築き上げてきた国家経済のビックバーンをブラックホールに変えようとしている。

プラス方向は今すでに、マイナス方向に向かっている。

”貧”の侵食は静かに進み、子供たちから安心と幸福感を失わせ、少子化を生み続ける。

”富”の側にいれば、確かに安心できる時間は稼ぐことはできるかもしれない。

しかし、経済は結局は連鎖している。

これからは、”富”の側になることだけを教えるのではなく、食物連鎖よりも”経済連鎖”を真剣に教えていき、”貧”は他人事ではないことを教えていくべきだろう。

そうすれば今、この国家に起きようとしている未来のカタストロフが理解できるはずだ。
posted by WHO IS I ? at 09:21| Comment(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする