2012年06月26日

背信内閣

契約の場合双方での条件が合意した場合に成立する。

ならば、有権者と当選した被選挙人の場合はどうか。

有権者が投票しようとするとき、その人が所属する党が掲げている政権公約を考慮に入れることが多い。それの実現を願って・・・

今与党の目玉だったのが、将来増加の見込まれる社会保障費等の足りない財源は、消費を上げずして、財政の無駄の削減から捻出できる。天下り全面禁止。などなどだった・・・

有権者側からみると、「おっ、やっと国民をかばい、自己に厳しい政治を取ってくれそうだなぁ。」と、かってに期待した。

しかし、もしここでこの夢のようなマニュフェスト(政権公約)を見てこの党に入れたとすると、ここに成立するのは契約ではなくただの信頼だ。

だからといって政権獲得後、自分達の都合で無かったことにしてよいと言うものではない。

それがまして、今回の現与党の選挙前のマニュフェスト(政権公約)の中で「消費税は上げません。」とはっきりと言っていたのにもかかわらず・・・

そして今回、マニュフェスト(政権公約)のことは、まるで無かったの如く、何一つそこに触れることもなく平然と「消費税を上げます。」と言ってのけた。

それも「国民のためだから。」・・・ときた。

「政治生命を懸けて。」国民の嫌がることをやり。「政治生命を懸けて。」国民の望むことはやったのだろうか・・・

確かに金額的には些細な額であったとしても、今回の決断に対する、苦境に立っている国民へのおとしまえとしても、国会議員の定数是正、公務員の報酬の民間レベル並の削減、箱ものの維持削減のための資産売却、天下りの根絶・・・やってみたけど、で・き・な・か・った。というのだろうか。ただし今回のように本気で「政治生命を懸けて。」やったのだろうか。

国政を何の改革も実行する事が出来なくて、ただ漠然と足りない財源は、国民からいたただきます消費税で・・・

だったら、知恵も工夫も要らないで、国民の民意を無視した改革無き悪政の起源となる法案可決となるだろう。マニュフェスト(政権公約)無視、国民の民意無視、謝罪なし、柔和温厚なる独裁者なる者の気づかぬがごときふりで国民への背信を実行しようとしている。

もしも、自分達のマニュフェスト(政権公約)を信じて投票した票=民意にそむくのであれば、どんなにあっせていても、解散総選挙をして民意を問いなすべきである。それが最低限の有権者に対しての礼儀である。

が・・・

ホラー映画上の「悪魔」と言う存在は、人の心を惑わすとき、恐ろしい姿ではなく、その心の弱みに付け込んだり、優しき者の姿に変わる。

政治家が国民の信頼を裏切れば、国民の政治不信を抱き、国家を律する上での、「威信」という国家運営にとっての要を失い、国家の見えない団結心を失う危機を招く。


posted by WHO IS I ? at 12:35| Comment(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

知恵



 昔、セブンという映画で、映画の内容から七つの大罪という事がクローズアップされた事があった。自分自身もあまりそちらに詳しくなかったので、その言葉を初めて聞いた時、その七つの言葉が、大罪と呼ばれる程の事かと疑問に思ったことを覚えている。

 その一つに「怠惰」=すべきことを怠けてだらしないこと、と言うものがあり、怠惰と言うと、何かしなくてはならない事がある時に、ただ面倒くさいからやーめたと怠ける事で、別に大きく人に迷惑をかけるわけでもないので、なぜそこまで大罪なのだろうかと思ったものだった・・・

 しかし、最近になって年の功なのか、その意味が少しずつ分かってきたような気がする。あちらこちらで国家、公共機関、民間を問わず、組織が滞り上手く国民が望むような運営がされなくなってきている。そして、生活保護の不正受給などの問題では、働けるのに働かない若者など国民の側にも大きな問題が起きだしている。

 それを担当する人員の不足、任務を完全に遂行する事無く問題を放置したままにする公務員、特に公共の組織と民間の組織とのシステムの違いからくる、対応する任務の遂行の緊迫度の違いは、非常に大きくなってきている。

 その違いは、どうして生まれるのか。

 経営側の人事運営を考えるときに、民間の場合はそのシステムが上手く回らないとダイレクトに経営に悪影響を及ぼすために、人員の効率のよい働きが出るようにとシステムを常に工夫している。それに比べて、公共機関の場合は仮に悪影響が出た場合でも民間のように切迫した問題になることはなく、その上、経営側の直接的な責任を問われる事もない。

 本人たちも、厳罰に類似したリストラと言う究極の恐怖もない。
 
 また、昔に比べて人々の心や価値観、プライドなども、現代人は確実に変異してきている。

 昔の人間は比較的モラルややる気、元気などが今の人が空想できないほど持ち得ていた。だから経営側が何も努力や試行錯誤しなくても、何事もうまく行っていた。両者それが当り前だった。

 しかし、現代人はそれらのものが確実に低下してきている。すると何が起きるのか。

 「面倒くさい、やりたくない、何もしない方が確かに楽だ。」といった弱った自分自身を許し続ける思考が大半を占めるようになる。任務の自分、本当の自分、その中で楽をしたいと言う気持ちの方が勝ってくる。一人の人間でそれが起これば、そうたいしたことではないかもしれないが、その数が莫大な者たちに増大すれば国家を揺るがす脅威にもなりかねないだろう。

 今回の東京電力の電気料金の値上げ申請問題でも、巨大な原発事故を起こしお客様に迷惑をかけている状態でかつ人員、資産コストの削減や原材料の仕入れ値削減などの企業努力と言うものを見せずして安易な電気料金を値上げするなどの方策をとるなど、もしこれが独占状態ではない民間企業だったならば、ありえないし、許されないはずだろう。

 脅威が比較的わかりやすいものなら対処しやすいが、「怠惰」と言う人の心を惑わす闇に対処するのは難しい。それを解決するには厳罰や迅速に良い方向に向かう方策など、人間の知恵で解決するしかないだろう。

 しかしやはり、結局は悲しいことに「厳罰」などの恐怖しかないのだろうか・・・
 
 もう、それが起きだしている・・・
posted by WHO IS I ? at 19:05| Comment(0) | 勝手なる妄言・広大過ぎる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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