2012年03月31日

堕ちた媒体者




 NHKの平成24年度予算が、2012年3月21日(水)衆議院総務委員会で審議されているのを、TVで見た。なぜか一番視聴率の低い深夜枠に放送していた。

 そこで、みんな党の議員の質疑の中で、「退職一時金と厚生費を合算した雇用者報酬統計と同じベースで見ると、一般のサラリーマン440万円に対しNHK職員1780万円、、職員の年収が民間の平均年収の約4倍ぐらいになっている。その上、天下りの温床になっている。」と言っていた。

 NHKは既に、2008年に策定された次期経営計画の中で「2012年度から受信料収入10%の還元」を約束していた。当時、還元とは値下げのことだと明言していたが・・・

 にもかかわらず、衆議院総務委員会のNHK平成24年度予算審議の質疑では、本年10月からの受信料値下げ率は約束の10%ではなく、7%にとどまるとNHKは答弁した。差額の3%分の値下げができない理由として、受信料免除者が増えたことと、東日本大震災を受け放送設備の機能強化を挙げている。

 さらに当初、NHK執行部は6%の値下げで済ませようとNHK経営委員会に提出したが、これを拒否され渋々7%にした経緯がある。

 国家予算には無駄の削減を、訴える報道をしていたようだが・・・

 昔、マスコミは第三の権力と言われ世論の代弁者としてあらゆる国家権力やさまざまな組織に対して問題となる点などもきちんと正しい内容を報道し、監視者としての権力が要求されていた。

 インターネットの普及により、個が発信する情報の多様化により唯一の情報発信源ではなくなってきてはいるが、今でも代表的な情報発信者としての責務は大きい。

 それでもマスコミというものは、個が発信する情報とは違い、国民の代弁者となりあらゆる組織の矛盾を追求したり間違いをただしたりするには大きな効果を出せるものである。

 古き良きアメリカ映画の「カプリコン・ワン」では、国家の陰謀を知ってしまった主人公たちが命を狙われ壮絶な体験をしてその追手から逃げる事が出来た後、クライマックスではマスコミを通じてその真実を世間に公表するというラストシーンがある。

 その時、その映画を観ていた人々は、まるでマスコミが自分たちを守護してくれる、完全なる砦の如く感じたものだった。というように、イメージ付けられていたこともありマスコミの役割は、そのようなものだと思い続けてきた。

 が・・・

 しかし、予算審議会の質疑応答を聞いていて自分たちは国民の味方であり、国民の代弁者であるという見えない責任感など微塵も感じられない、自己の特権を守りたい保身に徹するだけの官僚答弁的な、残念なものであった。

 報道上では、借金漬けの国家運営に対して予算のスリム化の必要性を訴えておきながら、今デフレで生活が苦しい国民から徴収している受信料の値下げにつながる自己の組織のスリム化すらやる気がないとなると話にならない。

 やはり、相手を厳しく批評するには自己に厳しくなければならないというモラルが必要だ。


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2012年03月18日

DOKUSAISHA

 今、橋下大阪市長が大阪市の市政改革に取り組んでいる。そして、停滞している国政についても改革案など自分自身の意見を言っていた。

 人によっては、彼のその手法を”独裁者的”と騒ぎ立てている。しかし、彼がそんな急速で激しい対応をするのには、それなりに市政が緊急な改革をせざる負えない状況にまでなっているからなのだろう。

 彼の"危機感"がそうさせているのだろうか。

 未来の日本の様子・・・

 それは預言でなくても推測することは出来る。日本人がまだ対岸の火事感のある、ヨーロッパのギリシャのような国々の国家破綻危機だが、日本国も将来的には同じ経路をたどる可能性は大きい。そしてその危機が目前にまで迫り、国家破綻の瀬戸際に立った時に、すべての厳しい条件を受け入れざる負えない時では遅すぎるのだが・・・

 それに比べ、自分の利益や特権を守ろうとしている危機感の欠如している反対勢力は一見して何も起きていないので、このまま永遠に上手くいくと思い込んでいるのだろうが・・・それとも故意にやっているのだろうか。それは国政でも起きていて、それぞれの"危機感"の度合いによって態度に違いが出ているのだろう。

 その危機感を持つものと持たざる者の違いのせいで、改革を行おうとする者と反対する者に分かれる・・・
 
 「十人十色・雲散霧消」というように、ある集団的な人数が集まれば、それぞれの価値観や意見など一つにまとまるという事はまずあり得ない。となると、国政などを動かそうとすれば、その度合いはより一層大きくなる。

 ところで・・・

 日本国憲法では、この法典は国家の最高法規であり、日本国憲法に反する法律及び条例は違憲となり、無効となる、とある。仮に独裁者が自分の思い通りにその憲法を変えようとしても、憲法改正手続き(wikipediaより)にもあるように
日本国憲法第96条第1項は、憲法の改正のためには、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」旨を規定しており、憲法を改正するためには、国会における決議のみならず、国民への提案とその承認の手続を必要とする旨が憲法上規定されている。

 とあり、余程の事態が発生しなければ安心のようだ。

 橋下大阪市長が抵抗勢力の激しい抵抗やネガティブ攻撃に遭いながら、自分が信じる改革を妥協すること無く、抵抗勢力に対峙しながら政策を決定していく姿を見ていると、沈みゆく日本国家という船を、誰一人マイナスイメージを受けたくないが故に協力すらしない、彼を冷笑するだけの傍観者たちの中、傷付きながらも諦めない空想上のヒーローのようで、痛々しささえ感じる。

 時として人の憎しみをかうのを恐れ、全ての人間に対して好イメージを保持しよとする者には、真の改革は無理なのかもしれない。



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2012年03月09日

国家の責任






 日本人には「事なかれ主義」という国民的体質が国全体で起きている。人は美しいものに惹かれ、その美しさの陰に隠れている真実を知るということは嫌なことである。

 そして人情を考えれば、辛く厳しい現実もあり、その真実を通告するということは確かに辛いことである。

 が、しかし、物事によっては例え一時的に嫌な内容であってもかえって伝えることによって、長期的には本人たちのためになるということもある。そのような時に、心を傷つけるということと、本質的に本人たちにとって結果的に良いこととの、どちらを選択するか・・・

 国民の生活と安全を守るべき使命のある国家は、やはり何世代先の将来的な子孫の生活と安全も考慮して物事を進めなければならない。一時的な感情に流され場当たり的な対応をする事によって、もし子孫にとって不利益を被る可能性がある場合には事を慎重に運ばなければならない。

 それが、今回問題になっている放射性廃棄物である。なぜ放射性廃棄物が他の廃棄物と一線を画すかというと、それは人情や差別からではなく放射能という部分に大きな問題がある。

 放射能(wikipediay)にも書いてある通り、放射能と言うものはたちが悪く、特に半減期(放射性元素の原子数が崩壊によりたった半分に減るまでの時間)は特にウラン238は45億年、プルトニウム239は2万4千年と物質によっては壮絶な年月がかかる。

 もし、放射性廃棄物やその焼却灰が雨で濡れ、その水が川に流れ、強いては飲料水などに使用される川の水が被曝する恐れがあるのならば、保存する場所を選ばなくてはならない。すなわち、今回発生した放射性廃棄物が使用済み核燃料と同じような環境への影響を与えるならば、慎重な扱いをしなくてはならなくなる。

 それを調査し検証し、正しい放射性廃棄物の環境への影響に対する調査結果をきちんと公表し、無害であるならば一般産業廃棄物と同様の扱いをし、もし残念なことに高濃度の放射能の影響が出るというのなら、それ相応の対処をしなくてはならない。

 その点を正確に検証、判別せずに義理や人情でお助け心満載で全国の都道府県がそれを受け入れ、ばらばらのやり方でそれを保存するとなると、厳しいことを言えば放射性物質を日本全国にばらまく可能性が出てきてしまうということなってしまう。

 真に国民を憂い、それをきちんとした正しい方向に導くことこそが国家の責任であるだろう。
posted by WHO IS I ? at 17:49| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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