2011年09月30日

改革と言う名の謀反



古賀 茂明氏は、日本の元通産・経産官僚。内閣審議官等を経て、2011年9月26日付で依願退官されたとの事。彼は「改革派官僚」と呼ばれ、政治家としてでなく官僚の立場で急進的な公務員制度改革に取り組んでいたらしい珍しい人材だった。

 しかし、内情に詳しいコメンテイターによると「虎の尾を踏んだ」らしく、全ての仕事から干されて「何もする事が無い。」と本人も言っていた。退官後のインタビューで「組織内から改革に扇動する人などは現れましたか。」と言う質問に、「誰一人いませんでした。」と寂しそうに答えていた。

 彼は思いのほか真剣に公務員制度改革に取り組んでいたようだが、結局「時代の寵児」「似非英雄」扱いに終わってしまうのだろうか・・・

 これからの若い世代にも、自分の思いを伝えたいとの事だが、希望としては改革を表面化させてからほぼ必ず起こる組織の巧妙な形での抵抗や攻撃にどう打ち勝ち生き抜いていったのかまでも、生き様として示して欲しかったが・・・

 と、お気楽な傍観者たちは言うが、孤立無援に持って行かれたら、敵地に一人乗り込んで当局からの援軍も無いのにたった一人で敵を全滅してしまうランボーの様に、そう簡単には改革を続行できないのだろう。

 それでなくても日本人には、永きに亘る封建制度の名残りのDNAが行動の選択に影響を与えているのだろうか。謀反を起こせばお家断絶になり、ずーーと見せられ続けている「赤穂浪士」のその後の如くの結末が頭をよぎり、改革と言う名の「謀反」を起こす時は、全てを投げ出し、形の違った現代版の切腹が待っている覚悟を強いられる・・・

 だから、組織改革の必要性は分かっていても、誰も行動に移す者などいない。

 そして今では、現与党が野党だった頃の、ギラギラとした改革が出来ると思い込んでいたオーラは消え失せ、野獣は官僚に飼いならされてしまった・・・のだろうか。返って与党慣れしている者たちよりも、免疫のない分懐くと扱いやすいのか、だからと言って慣れ過ぎの者たちも流れのない沼のように浄化不可能の様になってしまうのか。

 誰を選ぶべきか、有権者の悩みどころだろう。

 とにかくマニフェスト=政権公約までなら、希望は果てしなく大志を抱けるが・・・

 しかし、そのマニフェスト=政権公約を実行しきれるかどうか。それあるのみ。口でなら誰でも何でも言えるのだ。
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2011年09月11日

問題先送り国家

昔、子供の頃、夏休みの宿題を簡単にやれるものは早めに終わらせて、工作などの面倒と思われるものを「後でやればいいや」と先延ばしにしていて、結局、夏休みの終わりが近づいた頃のぎりぎりにやっていた。

今の日本の現状を見ていると、「財政再建」という宿題をずーーと、分っちゃいるけど先延ばしにしていたら、景気悪化、震災・原発事故復興、激甚災害復興などもっとお金のいる問題が次々と山積してきて、どんどん窮地になってしまった・・・

だからと言って、本当に国家財政は足りないのだろうか。

国家の場合、「予算が足りない」と言うと、「へーい、じゃあ税金を上げましょう」と言うことになり、「へーい、じゃあ国家公務員のお給料を少しばかり減らしやしょうか、とか、国会議員の人数減らしましょうか、それとも過去にばんばん造った箱物の莫大な維持費と本体ごと削りやしょうか」とは決して言わない。

なぜなのか・・・

唯一の立法機関である国会の中枢の人材である国会議員にとって、国民の場合には何の抵抗手段も持たないので、例え増税をしたところで、ただの「愚痴」を言うだけで終わる。その上、日本人気質特有の「忘れっぽい」ことを計算に入れれば所詮「楽」の一言に尽きる。

それに比べて、国家予算管轄の部署の「予算や人件費を削る」などと言えば、その関連組織からのピンポイント攻撃や復讐が待っているのか、それとも何か隠されたやばネタが存在しているか本人たちにしか知りえない秘密があるのか分からないが、政権公約もどきにあった20%削減どころか、削減自体やったのかすら分からない・・・

財政赤字約1000兆円を抱えている日本国という雇い主が、「震災・原発事故復興、激甚災害復興に充てる費用すら無い」なら、民間企業の平均年収より非常に高水準のお金を貰っている公務員の人件費削減など景気の悪化や震災・災害に苦しんでいる
国民の我慢とくらべたら生温い実行だ・・・

しかしそれを実行せず、国家予算の足りない分を、苦しみ抜いている国民から血税を取ったとしても、憲法には違反しない。ただ、よく国会議員が口にする国民ためと言うが、やはり最後には自分たちの保身を考えてしまう為に、結局今まで何一つ変わらなかったのだろう。それは、最終的には決定権を持つ者たちの心底にある魂の問題だからだ。

まあ政権交代時には、自民党の長期政権に贅沢にも飽きていた国民の心に、何か日本国を救国し一新してくれそうなマニフェストたるロマンを耳元で囁き、絶望まではしてはいなかったが、ちょっとした「無料お試し期間」のような気軽なつもりで今回の政権交代は実現したが・・・

しかし今政権与党も、あの政権交代時のマニフェストを完全に反故にするのなら、正道としては解散総選挙をして民意を問わなくてはならない。と言うことぐらいは分かっているのだろうが・・・それも魂の問題だ。

小説「蜘蛛の糸」のお釈迦様の垂らした蜘蛛の糸を掴んでいる主人公を公務員とみなすと、いつか蜘蛛の糸ごと切れて全員、財政破綻で1000兆円の借金が引き金になり日本国債が暴落すれば円が紙切れになり大崩壊を招く地獄行きが待っていること位も簡単に予測できるが、それでもこの国はだましだまし突き進んでいる。

しかし、何にでも果てはくるが。

「日本国はもう、そんな高額なお給料を払える状態の国では無いんですよ。」

「へへ、実はそんなこと位、とうの昔に分かっておりましたわ。でも、高額なお給料をずーーと、くれ続けてくれるもんですから。だから、黙っていた方がいいんでー。でも、こちらは、なーんも悪くはないんですよ。権利なもんでして。」

なぜこの国を救えないのかって。

それは、お得意のお金が無いふりをして、強欲な者たちが、国民には決して分からない形で財源分配をして、国民に使うべき金の部分だけを絞っている・・・かもしれなし。だから、全ての国家予算の使い道を正常化すれば、直ぐにでも問題は解決するが、それを完成させきれる者がいない。

ということは、いずれ今度は経済のカタストロフが起きるのだろうか。世界中が不況になれば世界恐慌になりかねない。それに備えて財政の健全化を急ぐ必要がある。防災は経済にも必要だ。しかし道は険しい。そう、この国家を蝕んでいる我慢の足り無い者たちが居る限り・・・

増税はそれからだ。
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2011年09月05日

ザ・ライト -エクソシストの真実

ザ・ライト -エクソシストの真実を観た。ネタバレ注意・・・

この映画は、アメリカの神学生マイケル(コリン・オドノヒュー)が、卒業を間近に控え、信仰を見失っている自分を認め、司祭になる道を捨てようしていた。しかし、マイケルの才能を信じる恩師に引き止められ、バチカンのエクソシスト養成講座を受ける事になりローマに渡る。そこでマイケルは、異端だが“一流のエクソシスト”だと讃えられるルーカス神父(アンソニー・ホプキンス)の悪魔祓いを手伝うことになり、奇異な体験をしていくというもの。

この映画の宣伝によって、バチカンにはエクソシスト養成講座が存在し、実はエクソシストとは、バチカン公認の正式な職業であったという事が世界に明かされて、驚きが広がった。また「これは真実である」と言われると、とても観たくなったが、「エクソシスト」と聞くと、凄まじく恐ろしかった映画エクソシストを思い出す。

信仰の道に進もうとする者自体が、心に深い疑いの念を持っているという設定が面白い。次第にマイケルが、目の前で起き続ける理解し難い現実により、信仰心に変化が起きていく経過は、この映画を観ている者まで同じような思いにさせようとしているような気がしてくる。

人はどうしても科学で解明しないと気が済まない所があるが、酸素も目に見えず触れられないが存在しているらしいので、人間の五感で認知出来ないからといって存在しないとは言い切れないので、凄まじい力を持つ悪魔と対決するエクソシストになるにはとても勇気がいりそうだ。

そして一番驚いたのは、経験豊富で強者と思っていたルーカス神父自体が、悪魔に取り憑かれてしまうことで、エクソシスト自身さえも油断できない危険性があるという事だ。やはり敵が悪魔となると、簡単にはいかないのだろう。

バチカンでの研修を終えてアメリカに帰るマイケルに、ルーカス神父が「私も若い時は、お前と同じだった」と言う。

一見、迷いがなく高潔なように見えたルーカス神父だが、実際は迷い、怖れながらエクソシストをしているということを聴いて、何故かこちらまでもが安心した気がした・・・

現にエクソシストである神父たる自分自身が、悪魔に取り憑かれてしまったという、本当なら隠したい真実を公開した事は、逆に真剣に真実と向き合ってきたという自信があるからこそ出来たと言える。

本国の政治に対しても、今回の原発事故やその後の対応にも同じ事を求めたいが・・・

最後のシーンで、結局、彼は信仰の道に進んだとなっているので、彼にとってローマでの体験は信仰を開眼させたものだったのだろうか。

アメリカに帰宅後ローマの友人から彼に届いたメモに、

Keeping a light on the truth, (常に真実に光を照らし続けて下さい)とあった。

この映画を観て、多くの困難に触れると人の心は迷うが、たとえどんなに迷おうとも、どんなに絶望しようとも、闇に取り込まれることなく光の側にい続けなさいと言う言葉にも感じた。
posted by WHO IS I ? at 04:00| Comment(0) | 勝手なる映画評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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