2010年09月30日

うさぎとかめ 2

 今までよく今の日本を幕末に譬えていたが、最近の世界の中での日本国の様子を見ていると武士が台頭してきて滅んだ平安朝に似ている様に思ってきた。

 1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間のバブル時代が最高潮であるが、戦後も高度経済成長を続け、はっきり言ってブッチギリの右肩上がりの経済状況しか経験してこなかった。

 そのため自分たちの手法を、根本から変える必要に見舞われたことがなかった。

 事実上細々と全てがうまくいっていた。国勢も順風満帆だった。

 だから、日本中の者たちが自分たちのシステムや手法は世界一素晴らしいく優れていると思い、それは確信に変わり、いつしか他者の言うことを見下し自己反省や改革をしない傲慢に変わっていた。

 特に、何をしても職を失わない特権階級の者たちは、国民の公僕である事を故意に忘れ、いつの間にか
“国民”のためによいのではなく自分たちにとって都合のよいものに変える事に変異していた。

 よく「この国は腐っている。」と言うが一体どこが腐っているのか。そしてもし腐っているのなら誰が変えることが出来るのか。

 立法機関である国会か。

 今世界の勢力図、経済の流れ人々の意識の変革などでどんどん「やり方」も変わり続け、追いついて行くにはこちらも変わらなくてはならない。

 自分の国が一番だった頃のやり方は、もう世界中には通用しなくなっている上、資本主義での「力」である「金」も無くなってきたと言えば相手にもされなくなってくる。その中で生き残っていくには知恵が必要だが・・・

 考えた所で無駄だが、なんで世界の優等生だった日本が特にデフレ、少子化、巨額財政赤字などの未解決の難題がテトリスのブロックの様に積み重なっていくのか少し不思議に思っていた。

 そしてそれは、やはりテトリスの下手なプレイヤーの如く単純に処理に手間取っているからなのだろう。

 いつも感心するのだが、何の権力もないが国会よりも遥かに内容に意義のあるTVの討論番組で、某議員が、何かいい事を実行しようとしたら、法律により規制でがんじがらめになって結局断念したと言っていて、何となく日本国が進化し続けている世界の国々の改良化に乗り遅れている理由が分かったような気がしたが・・・

 「7年位前に20〜30万円して買ったパソコンが壊れたので今回5万円のパソコンを買ったのですが、処理も早くサクサクっとしている上、能力も何十倍あがっていて驚きです。」と口コミサイトにあったのを思い出したが、日本は今世界のニーズから見ると、空港や土地の利用料、見た目の法人税、株式上場などコストが高く、法的規制も厳しく、面倒くさくてたこうつく商売には向いていないお国として避けられているのでは・・・

 と、早く気が付いて、早く世界標準、ニーズに合わせよう。ぼゃーーーと、している余裕はない。平安朝のお公家と見張り役だった武士との危機意識と行動力の差に似てきている。
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2010年09月25日

外国依存

 幼い子供にやって良い事と悪い事を道理で説こうとしても、納得する能力がないので、最後には言うことは聞かない・・・

 だから、成長するまで待つ事しか策はないのだろう。某隣人なる大国は急速に巨大化したが、まだまだ世界の中での成人としの認識はできていない。

 日本は自給率の低さが一時問題にされていたが、こういう時に本当の問題の重要性が分かるが、日本はいつも一過性に騒ぐが、喉もと過ぎれば熱さ忘るるのごときすぐ古ネタになっていく。

 ここのところ人類滅亡ネタなどで異常気象による食糧不足などはまだまだ先の事と思っていたら、穀物輸出国が輸入国になったと言っていたが、日本国の食物の輸入依存どの高さは普通ではない。

 昔、TVの番組で日常の食品の内、輸入品を消してみたらほとんど消えてしまい、もし輸入品が何かの事情で輸入出来なくなったらどうなってしまうかをやっていた事があった。

 その時も第二次大戦後世界秩序は安定しているのでそこまで心配しなくてもとさらさら気楽な気持ちで見ていた。

 国土が狭い、農業後継者問題、少子高齢化デフレ問題など、自給率の低さは輸入で、消費の低さは外国で、人件費の高さは外国へと全ては他国利用で解決してきた。そして国防もなんだかんだ言っても超大国だのみだし。

 うまくいっている時は、楽でよいことではあるが、一転して悪意ある故意の行動が起きれば「秤量攻め」も行えるという事を今回の隣人である大国の行動で再認識したが。

 日本は、何でも曖昧が好きだが、法律も、自給率も何もかも遅れをとっていてやることだらけで、それも分かっていながらずるずる引き延ばし続けて、問題は時代の流れで益々増え続けていっている・・・

 何でもうまく言ってる時は、よい。事なかれ主義の者には苦しむ事もなく楽ちんだ。

 ただ、奇想天外な古ネタである2036年から来たと言い張っていた謎のタイムトラベラー、ジョンタイターが言っていた事が、最近になって笑えないと思っている。

 自分たちの歴史では、2015年、ロシア連邦が反乱部隊の援助という名目でアメリカに核爆弾を投下。核戦争となり、第三次世界大戦へと発展する。 その後、アメリカの外交権麻痺に乗じて、中華人民共和国が覇権主義を強化。台湾、日本、韓国を強引に併合した。と彼は言っていたらしい。

詳しくはここ

 彼の言い分では、タイムラインはいろいろな影響でかすかに変化するので自分の未来から来たというカミングアウトによっても、未来の結果に変化があると言ってはいるので彼が言っている通りになるとは限らないが・・・

 あの当時は、まさか資本主義国家の頂点を行くあのアメリカを経済的に追い抜く可能性にまで中国が成長できるなど微塵も予期できた者がいなかった頃なので、眉唾物が本物の思えてきたけど。

 もし本物だったとすると、日本にとってはあまりよい未来ではないのが残念だが・・・

 まあそう言う事で、輸入する所が無かったら、外国が何も買ってくれなかったら、真剣に国内での自給率を上げようとするし、内需拡大に専念するし、国内に工場を造ろうとするするが・・・

 やはり楽な逃げ道に依存している限り、真剣に物事に取り組もうとしないのは、厳しく深刻な現実を認めたくない怖がりやの日本人気質の性なのだろうが、世界からは取り残されていくとも言える。
posted by WHO IS I ? at 02:37| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

防衛でなく防国論

 TXで隣の某大国の方が、北海道の土地を安価すぎてお得だと購入しているとやっていた。

 バブルの時の勢いを思わせる国の方なら確かにお買い得に見えるだろうし、景気の悪い日本にとってはいいお客さんだと良いお話だと思っていたら・・・

 だんだん、恐怖の内容にちょっと気になる事に。

 日本国は資本主義なので、誰が何を買もいいのでそのこと自体は何の問題も無いと思っていたら・・・

 それは土地を購入した理由にある。その土地の地下に水脈あり、どれだけ“水”を使おうとメーターも無く一定料金だと言う事を売買時に確認していた。

 購入者の方の考えは、将来的に世界中で水資源の争奪戦が起きると予想しいるので、今回の土地の購入にあたっては“土地”としてだけでなく“水資源”もセットになっていると考えると、とても安い買い物だったと言っていた。

 今日本は世界の中でもデフレの回復が遅れていて、デフレによる土地などを含む日本中の全体的な値段の下落は買い手にとっては、絶好のチャンスとも言える。

 逆に不景気側となる日本は、どんなに条件が悪くも売りたいだろう。

 ここで、怖いのが、大昔は・・・

 水の利用などの権利を得るという事は大変な争い事だった。米、塩などの人間の生き死に係わる物資の権利は、牛耳られしまうと牛耳った者に独占されてしまえば、それ程凄まじい強い権限を持つことが出来る。もしその権利を得た者は、値段を高騰させることも、例えどんなに哀願されても分け与えたり売ったりしなくても別に何の罪にも問われない。

 今まで戦後の日本国は、安定的な民主主義・資本主義形態しか体験しておらずそんな恐怖の事態など、太古の昔の事として忘れ去られ、改めてそんな心配もした事すらなかったが・・・

 しかしある日もし、水源の山を買い占められ、その土地の水の権利を主張され、買い占められた山の数が膨大な量になってしまったら。

 水は生命維持に係わる究極の品だ。

 昔の“関所”のような考え方もある。

 自分の国で無いから、嫌われ迷惑がられも、法の規制が無ければ“お金儲け”はするだろう。

 日本は“法”よりも日本国民の人々の中にある“モラル”や“善意”による行動の自主規制によって秩序の大半が守られてきた。それは日本人の迷惑や目立つことを嫌う気質にも頼ってきた。

 しかし、これからは少子高齢化で国益や国力が下がっていくといろいろな文化や考え方の違う勢力が入ってくるのを防ぐことは不可能になってくる。

 相手の思想や感じ方の中のでは間違ってはいない異様な事をされても、最後は“法”に従う事になる。

 なんだかんだ平和で「お互い迷惑を掛けない」温厚な関係をしてきた意者同士の居心地の良い社会にいた者には想像すら出来ない新しい商売も起きるだろう。

 しかしそれが、究極に国民の人権の侵害を呈するような場合は、強制的にでもやはり規制を掛ける事が必要であり、国民の権利を守ることは防衛の別に重要になってくる。

 しかし感心したのが、さすが三国志の物語にあるように、某大国は武力だけに注目するのではなく兵糧攻めや背水の陣などの“計略・奇策”により勝つ事に長けた国・・・

 「あの国の方たちは、資源を押さえる事の重要性を良く理解していらっしゃる、さすがやなぁ。こりゃ、狙われたら勝ち目はありゃしませんはなぁ。」

 現与党が政権をとって間もない頃、あの方が大訪問団を連れて隣の大国に行っている姿を見て、中学生の教科書のもある「朝貢」を思い出したが・・・

 確かにこのままだと日に日に、力関係は「漢倭奴国王」の時代にまでなるだろう。しかしどんなに苦しくても弱体化しようとも友好関係と朝貢関係は違う。
 
 「生活も一番」だが・・・

 しかし友好と朝貢の大きな違いも解らないようでは、今でも起き始めている領土間の摩擦などの延長も起きかねない危険な状態を助長しかねない。そのような売国精神の持ち主は庶民の生活と同じぐらい重大な国益を死守するという事は出来ない。

 国内の事だけに目が向いている国民を守るべき者である国家のリーダーは、外の世界での領土の保守、資源獲得などある意味での死闘だという事を解っていなくてはいけない。

 そして、自国=自国民を愛せない世界を相手にプライドなき者は国家のリーダーになる必要は無く、きっと国民も決して信用しないし望まない。
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2010年09月04日

たわいない話(妖怪大戦争(1968年)

 現与党が政権をとってから約一年・・・

 「国民の生活が一番」などと自分たちはいつでも庶民の味方というイメージだけはとても良いが、その実際は、言いかけちゃー言いっぱなし、やりかけちゃーやりっぱなしだと、八つ場ダム・基地移設問題などの住人が「あれから来もしないし、何も言ってこないでほうりっぱなしだ。」とTVで実態が明かされていた・・・

 ここまでの政治のやり方を見ていると、「お口が先行して実伴わず」と言うのが彼らのパターンだと分かってきた。その上、旧政権=自民党がこの国をここまで酷いことにしたと言っているその時に中枢に居て、今は居ないから「そんなの無関係」的態度をとっている者の姿に感心し、ピンチの時の上手な立ち回りとして見習わなくてはと変な意味で心の帳面にに留め置いてはいるが・・・

 と、物凄く強大な敵に立ち向かう弱い者達の事を思ったら、なぜか古い時代の映画妖怪大戦争のラストシーンが思い出された。

 妖怪大戦争と言うと、2005年製のものもあるけれど今回は1968年製の古い方・・・

 最近では実写と見間違えるぐらいの素晴らしいCG映像ばかりを見慣れているので、今どきの人々は「何じゃこの映像は」と逆に驚くと思うけど、この時代にしては精一杯のこってこっての特殊メイクによって作られた妖怪たちがキモかわいく愛嬌があって妙によかった。

 それに比べて最強の敵吸血妖怪ダイモンは、今見てもおぞましい風貌で、日本妖怪と同じ妖怪類とは思えない怖いやつだった。このダイモンはある遺跡に封じ込められていたが、墓荒らし達の発掘によって4000年の眠りから目覚め、人間対プレデターの戦いぐらい何でかよく分からんが、このダイモンはなぜか日本に飛んできた。

 ダイモンは不気味な威圧感があり強そうだったが、本当に凄まじく強かった。

 それに比べて日本の妖怪たちは、体も小さく持っている技も可愛いものばかりで、ほとんどが驚かすというだけの優しい生き物たちだった。

 傘お化け、かっぱ、提灯お化け、天狗、油すまし・・・

 その力の差は、雲泥の差だった。

 そこでスターウォーズのヨーダの原点かもしれない日本妖怪「油すまし」が発起人となり、日本の妖怪たちを全国から集め、たった一匹のダイモンとの戦いに悪戦苦闘する。

 日本妖怪たちの、ダメージを与えられているのかすらよく分からない攻撃の積み重ねが功を奏して、さすがのダイモンも去っていく。勝った日本妖怪たちはみんな嬉しそうに夜明けと共に行列を組んで帰っていく・・・

 山と川しかなく、資源の無い日本が世界と戦っていく姿に思えた。

 アメリカ好きな総理が「自己責任」と言う言葉で、お国中の行き詰まっていた責任を取る側に、責任を取ることを放棄する事のよい言い訳を与え、今まで罪悪感があった無責任を肯定し、日本国のあらゆる秩序を崩壊させた。

 彼は普段の生き方も一匹狼だったと言うことらしく人間関係の面倒くささが嫌いだったのだろう。日本を西洋的な思想に基づく文化や社会にしようとしたのだろうか。

 弱い者は自己責任で自分だけでやれと言われ、「不可能で出来ない」という事と「甘え」と履き違われるようになり、「助ける事は良くない」と言う価値観が蔓延し弱い者たちは孤立した。日本は、お互いの絆を大切にし、「弱気を助け強気を挫き」という心根の文化だったが、強い者だけが生き残りしいては弱い者は自分のマイナス要因と見なす心根に変化した。

 弱い者たちを切り捨てることは、楽で簡単だ。そして責任と助ける事は重く、利益と対立する。

 弱い者が居ない、優しいものが居ない、そして受け入れない、気の置けない社会。日本人のDMAには合っていないと思えるが、壊れた世界を戻すには歳月と熱意が要る。

 彼は弱いものにならなくいい人生を送っていて、自分の政策により日本中の人々が「失ったもの」に気が付く事もきっと無いだろうが・・・
posted by WHO IS I ? at 00:06| Comment(0) | たわいない話・ささやかな名言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする