2016年07月30日

能力主義

都知事選を行うことになった。

ところで前知事のスキャンダルは多く取沙汰され、詳細なことまで連日伝えられていたが・・・

では一体。都知事としての功績はどうだったのだろうか。

都民にとって、これから迎える東京オリンピックに使われる莫大な予算、思ったよりも増えない税収、思惑通り収入増につながりそうにもないオリンピック効果。

もしかすると。東京オリンピックの使用後の設備も長野オリンピックの後のように、廃墟施設とまではならなくとも、維持費を長期的に消耗する負の遺産にならないとも限らない。

東京都だけでなく、この国家全体も予算の立て方、権限の所有体勢、国家予算の使われる優先度と額は、本当に国民の将来にとって役に立つように使われているのだろうか。

今、話題の田中角栄元総理が日本列島改造論のすごいところは、ふつうは総理になることが一政治家の夢であり、たいてい任期の間のことに過ぎず、一生のうちで自分自身が元総理と呼ばれる立場に慣れたことに満足する程度である。

凡人にとっては、それだけて凄いことである。しかし、彼は並みの人間ではない。とても一総理の任期中などでは不可能なことではあるが、その当時抱えていた地方格差を解消し、しいては日本国というものを、地方を含めた全国土中を都市機能と同じにして、国土全体をフル活用させて国力を高めようとしていたのだ。

ある時代、世界中がやろうとした間違った方法での国土侵略なく、今ある日本国という国の国土内で実行しようとしたのかもしれない。

あの時代には世界中の誰もが、シンクタンクでさえ、現在の中国が経済的にアメリカと互角の力を持つ国に成長するとは考えもつかなかった。分かりやすく言えば、共産主義体制の国が経済的に価値ある国になるとは見ていなかった。

それなのに彼は、命を狙われながら命を懸けて、中国との国交正常化を実行した。

彼は、まるで、現在の世界情勢を見抜いていたかのように・・・

あの当時、戦後すぐに経済的に先進国であったヨーロッパの国々は、日本を含め、超高齢化に悩み、世界的な重要の飽和状態に苦しみ、賃金の低下、消費意欲の低下により国家自体の老朽化が進んでいいる。影響が経済活動にも出だしている。

今真実に目を向ければ、消費能力、人口出生能力を高く持っている若年層が貧困に苦しみ、実際に消費したくても消費できない事態に追い込まれ、逆に、いくらお金があっても出生能力も消費能力に限界のある高齢者の方が裕福なケースが目立つ。

また高齢者は若年層に比べて税収の割合が低い割に、税金の掛かる社会保障費を多く使う。

日本の人口の比率は年々、高齢者側にシフトし続け、高齢者割合が増加は、誰にも止められないだろう。

もしも今、彼が生存していたら、あの時代に日本列島改造論で述べていた能力をもってして、今、国家がやらなくてはいけないことを聞いてみたい。

彼の思いが実り、確かに、日本の果てまで道路は行きわたった。ただ、うまく活用されていないため地方格差は無くなってはいない。たぶん彼は、道半ばで失脚してしまい、次の施策案を持っていたに違いない。

幼き頃から、豪雪に悩まされ貧困に苦しんでいる地方の人々を見続け、その原因である地方格差を、どうにか無くして、地方の貧困を少しでも解消たいという 彼の執念と日本国土への強い愛国心は真実であったのだろう。

たとえ形は間違っていたとしても、国家を動かすのはとても大変なことであり、その時代により権力wの動かし方も違うのだろう。真剣を笑う、このご時世とは違う。

今の日本の次世代の課題に向けた、政治とは・・・

そして理想の政治家像とは。

自分のクリーンなイメージにのみ気を使い、国民を憂いているようでも嘆いているだけで、課題や問題をを解消する構想も国を動かすパワーも無い政治家だろうか。

が、しかし・・・

とても好感度は良く、自身の生活やお金にはとてもクリーンなイメージがあり、ただそれだけが売りの政治家ばかりを選ぶ国民側にもに、将来、日本国に必ずや起きる真の国家崩壊の危機は防げないのかもしれな。

それを、天命と言いながらただ受け入れているだけなのか。それとも、今の子供たちの中から、真の日本国の抱えている危機を、田中角栄のように強い信念をもってどんな反権力にも負けずに救世しようとする者が現れくれるのか。

やはり国家を救うのも、崩壊を止められないもの政治の力なのだろう。しいては有権者の賢さにかかっているのだろうか。
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2015年10月31日

資本主義に反する未来

夜、帰宅途中で見える、とても大きい赤黒い月を見ると、地獄の入り口かと思う。

いくら、いろいろ工夫してあの手この手の景気浮上策を試しても、病と一緒で、病気の原因を治さなければ病状は回復しない。

それは経済状態にも、同じことが言える。

経済学の教科書にあるように、国家が経済の形態を、どのような形にとっているのかによって、改善方法も違ってくる。

資本主義につきものなのが、貧富の差だが、資本主義というものは、またその究極の不平等を利用して、人間の性である”欲”というもので、人々の生産、行動意欲を生み出すというものでもある。

そのため、”富”の側に回ったものには満足感、優越感、安心感が与えられ、資本を増やし労働も軽減されるという安定を得ることができ、”貧”の側に回ったものは悪条件と不安の状態に置かれ続ける。

人間というものは浅はかなもので、これが独裁国家によって強制された格差だど反抗するが、自由選択を与えられたと思い込んでいるものは無条件に、何も疑問を持つこともなく受け入れてしまう。

貧富の明確なボーダーは不明瞭だが、”富”の側にいると思っている人間は、”貧”がどれだけ増え、困り果てようとも、自由意思による選択の末の自己責任と思い込み、自分たちには責任も関係もないと思っている。

そのため、”貧”の影響が増大し続けていても、真に自分たちを脅かすまで、無関係を装い放置し続けていく。放置され進行し続けていく”貧”の影響は、病に似て、手遅れにならないと本当の病状の深刻さは表に出てこないために、気が付かないのかもしれない。

100%に達し死を迎えるまで、気が付かない場合だってあるし、うすうす気が付いているが放置してしまう場合もあるように。

人間の人生の中で、やはり購買意欲と購買量が高いのは若いときである。子育てをしていれば家族中全体で、消費量が高いことになる。それに比べて、いくら意欲があっても現実的に消費能力が落ちてしまうのが、高齢者である。

そのため、若い世代が収入が低いために”我慢”を強いられ、消費を抑える状態が続けば、全世代での”低消費”状態が続いていくことになり、全体の消費能力が落ち続けていく。

すると、生産量も必要なくなり、全人口の生産・消費サイクルをどんどん縮めていくことになり、せっかく戦後、技術革新や労働条件の安定の確保により、人口増加、消費力を向上させてきたものを、すべて欲の深い経営側に、やりたい放題の労働者たちの搾取と人権侵害すれすれの悪労働条件を許し続けている国家によって、”無”にしようとしているだけでなく、”マイナス”にベクトルが向き始めている。

簡単な算数で分かるように、国家経済が戦後、英知と努力で築き上げてきた国家経済のビックバーンをブラックホールに変えようとしている。

プラス方向は今すでに、マイナス方向に向かっている。

”貧”の侵食は静かに進み、子供たちから安心と幸福感を失わせ、少子化を生み続ける。

”富”の側にいれば、確かに安心できる時間は稼ぐことはできるかもしれない。

しかし、経済は結局は連鎖している。

これからは、”富”の側になることだけを教えるのではなく、食物連鎖よりも”経済連鎖”を真剣に教えていき、”貧”は他人事ではないことを教えていくべきだろう。

そうすれば今、この国家に起きようとしている未来のカタストロフが理解できるはずだ。
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2015年01月01日

あけましておめでとうございます

今年はひつじ年・・・
未(ひつじ、み)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第8番目に数えられる。
未年は、西暦年を12で割って11が余る年が未の年となる。
五行は土気.(ところで土(土行)とは、 植物の芽が地中から発芽する様子が元となっていて、万物を育成・保護する性質をあらわす「季節の変わり目」の象徴、そして四方の各行から余った気が中央に集まって土行が生じるとされる。)
陰陽は陰である。(陰と陽とはもともと天候と関係する言葉であり、陰は曇りや日影、陽は日差しや日向の意味陰陽は寒暑の要因)

「未」は『漢書』律暦志によると「昧」(まい:「暗い」の意)で、植物が鬱蒼と茂って暗く覆うこととされ、『説文解字』によると「味」(み:「あじ」の意味)で、果実が熟して滋味が生じた状態を表しているとされる。後に、覚え易くするために動物の羊が割り当てられた。

と言われて陰陽五行思想からきているらしい。調べたらこれは中国の春秋戦国時代ごろに発生した思想とのことだ。その時代からの名残が今も残っていることの方がすごい。

昨年の「今年の漢字」は“税”だったが、消費税に関して言えば、まだまだこれは始まりに過ぎないという感がある。財源として狙われ続ければ、北欧並みに上昇し、いつかは物の値段と消費税がイコールになるという都市伝説ばりの日がくる覚悟が必要だ。

陰陽五行思想ではないが、古い概念の中にも良いものもあるが、古い概念が役に立たないケースもある。

特に、一昔前の日本の経済構造なら一発“円安”になれば輸出が増えて貿易黒字になり、景気も良くなった。

しかし、円安になると、原材料などを輸入に頼っている日本は輸入品関連の物が値上がりするというリスクが生じる。その影響を受ける業種の方が多くなってきているので、円安が国益につながるとは限らない。

そういう意味では、第47回衆議院議員総選挙(衆院選2014)が行われた理由について、“よくわからない”というのがマスコミを上げての主流の意見だったが、勝手なる分析では、前回の選挙の時には窮地に立っていた現与党は与党を奪還するために、今まで国民が何を望んでいるのか分からないふりをしていたが、分かっていたので“おとり”としてそれらのことを選挙公約にした。

そのため国民は現与党はさすがに“変わった”と感じ、その選挙では圧勝した。

その後、政権を奪還したものの実現不可能までの選挙公約をしたために、覚えている国民に対してチャラにするとは言えないので、究極にチャラに出来る方法を考えた。

表向きは消費税を上げないという国民の信を問いたいということだったが・・・

消費税といえば、なぞの消費税を上げる時の指標に“物価の上昇”とい条件を入れているが、そこには、見えないかっこが付いている。その見えないカッコ書きの内容が曲者で、国民が惑わされる原因だ。同じようで似て非なるものになっている場合が多い。確信犯的思想がうかがえる。

(賃金上昇コストにより)物価の値段が上がった
(円安による原材料の値上げによる)物価の値段が上がった

確かに両方とも指数では“物価の値段が上がった”ということになる。しかし現在起きているのは(円安による原材料の値上げによる)物価の値段が上がったという方だ。円安による物価の上昇という悪い影響を受けるのに、消費税を上げる理由に使おうとしている。

まだ日本は資本主義の観点からすると、経済においては機能不全という病を抱えている。末梢まで血液がいきとどかないことで病気が起きるように、資本主義の血液に当たるお金をどこかが留保し続け循環を止めている。労働者であり、消費者であり、子孫をつくるものであり、社会保障を支えるものであり、同時に国家をつくっていくもの達に行き届かずに、生活不安を与え続けている。

結局、ばらばらななように見える事象は、すべてつながっている。民主主義に言われる人民の力は、悪い方に向けば、無意識であっても悪い結果を生んでいく。

目的は何か。果てはどうしたいのか。何かの意思によるものなのかすら分からないが・・・

それを治療するには病気と同じで、原因究明の結果に対して、小細工ではなく正しい治療をするという努力が大切だ。一気に治そうとするから、小細工をしてでも、どうにかしようとしたくなる。

原因は、お札を刷るまでは国家が自由に決められる。そこまでは、シナリオ通りに誰でも出来る。そのあふれさせたお金が、速やかに止まることなく循環すれば、景気も良くなり思惑通り人民も潤う。

しかし、自由意思を伴う資本主義社会では、儲かったお金を使わないという決定は自由意志の領域で、国家には手を出せない。たとえその動機が人民のためであってもだ。だから、国家の理想とする循環は企業のあちこちで、せき止められ、労働者である末梢にお金が行き届かない現象が起きる。

その自由意志の領域を、どうやって手術するべきか。それが解決しない限り、リスクを抱えてまで札を刷り続けても、治療よりリスクが肥大化していくだけである。

目先の欲にとらわれて、労働法の形骸化を放置した人民の労働形態の悪化は、不安定な収入を引き起こす。それが引き金になって起きる、さまざまな影響を受ける事象の連鎖を甘く見てはならない。

企業が受ける恩恵よりも累積して起きる事象の方が大きくなりカタストロフになっていく。

所詮、小細工によるつじつま合わせは、長期的に起きるカタストロフを防げない。預言なのではなく、分かり切ったことだからだ。


おこた
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2014年08月01日

人命救助の落とし穴

もしも子供が殺人鬼の所にいると分かったら、人々は助けようとする。しかし、不思議なことに事実上の殺人鬼と化した“親”という立場の者の居場所である”家庭”にいるとなると誰も助けようとする者はいない。

人々の価値観の中に「親というものは、子に愛情があり愛しみ大切に守り育てる」という完全な思い込みがある。だから「家庭」にいれば安全で大切に育てられているものと思い込む。

最近、多くの事件があり、幼児虐待の傾向を持つ親の存在の急増が分かっていても、やはり「殺す」まではやれないだろうと思い込む。

他人ではあるまいし、自分の子供に対して、微かにでも愛情や良心が残っていると・・・

そして結果的に、子はやはり親元にいて育てられることが「一番の幸せ」という思い込みから、それが子にとって一番いい解決方法であるとの結論に持っていこうとする。。

現代では、何が正常で自分自身でさえ完全に正常かと問われれば、みな確信は持てないが・・・

しかし、まあ一般的な程度の正常な精神状態の者からすると、親と子は引き離さないことが大切で、心身の成長には子は親の愛情の中で育つことが必要であるとの概念が、長年、人々に持たれてきた。

しかし、全知全能ではなく心も日々流動する人間は、時代と共に変異してきている。モラルも感情も価値観も、何を信じてよいかも迷い、迷いは心を不安定にさせ、狂気になっているかすらの自覚さえ見失っていくことさえある。感情のバランスも崩れ、揺らぎ続ける。

子供たちも社会不安や将来不安、成長期のストレスや友人、家族間自体の孤立感から感情をはぐくみあう場も無くなってきている。だから感情自体のバランスが崩れ、豊かな心も育たない。

そして豊かな心が育っていなかったり、ストレスにより善の感情を失っている者でも親になる時がある。そんな親の作る家庭で、もしも暴力を振るわれたり、食事も世話もされず餓死をしそうであっても、子は、そこにいなくてはならず、他に行きたくても行く所が無い。

もしも他人の子を誘拐してきた時点で犯罪だが、そんな恐ろしい目にあわせたら、国中の権限を発動させても、人々はその子を救出するだろう。

しかし、同じぐらい酷い人権侵害と殺傷行為が行われていても、加害者が親で、被害者が子であり、犯行現場が家庭であると人々は躊躇して、救出しようとはしない。

万が一、家庭が地獄の犯罪現場に変わってしまった子はどうすればいいのか。

本当に誰も救出しない、今の社会システムに問題はないのだろうか。

変わらなくてはならない法、価値観、意識、法的措置・・・

大切な点は、誰からであろうと子供に人権侵害が加えられているという場からの救出だ。

急いで、苦しむ命を救出せよ。
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2014年07月19日

オスプレイ

「裸の王様」のお話の中で、王様も本当は自分は裸状態であることを認識していたのか。それとも王様自身も思っていることが言えなかったのか・・・

19日午前、沖縄のアメリカ軍普天間基地所属の新型輸送機、オスプレイ2機が東京の横田基地に飛来し、初めて東京の上空をオスプレイが飛行したとのこと。

ところで多くの米軍機の中で何故オスプレイは注目を集めているのか。

売りたい当事者側と無理矢理買わされそうな立場でかつスポンサーの納得を得なくてはならない側両者の商品への評価は高いことになっていて、もし危険性のある欠陥部分があっても公開したがらないもので、それが売り手側の心理と手口だろう。

が・・・

人為的ミスもしやすく構造的な欠陥もあり事故率が高いと分かっている飛行機を、人家の密集地域にある基地で飛び交う可能性がある計画を、国家が国家間の掛け引きのために進行せざるおえないとしたら困る話だ。

オスプレイとはV-22の愛称で、アメリカ合衆国のベル・ヘリコプター社とボーイング・バートル(現ボーイング・ロータークラフト・システムズ)社が共同で開発した航空機で用途は輸送機となっている。この機は死亡事故の多さから”未亡人製造機”とまで呼ばれ、米国本国からも嫌われている。試作機を含めた重大な事故の原因がV-22自体の欠陥であったことが問題だ。

配備が予定されているアメリカ海兵隊所属のMV-22の10万時間当たりの平均事故率は、2012年4月11日の事故後に1.93となっている。事故前は1.12であり、いずれも米海兵隊所属の飛行機平均の2.45を大きく下回っている。配備期間の短さを考慮する必要はあるものの、現在、MV-22の事故率はヘリコプターより低い。(V-22 (航空機)wikiより)

しかし以下のような記事も
オスプレイ、安全面で法抵触 民間機なら不可(琉球新報 2012年6月21日より)

今年7月現在、防衛省は、自衛隊に新たに導入する新型輸送機、オスプレイMV22の購入費を来年度予算案の概算要求に計上する方針で、(日本の導入価格は2012年12月時点で一機当たり約100億円と見られている。)佐賀空港を自衛隊との共同使用にしたうえで配備先の候補地とする案を検討しているとのこと。米国では大統領に随行するホワイトハウスのスタッフや報道陣を搭乗させる輸送機として利用されることも決定され、2013年8月10日には大統領専用機仕様のオスプレイによる随行要員輸送が実際の運用として行われた。しかし改良型で事故率が低くなったというMV22について、

【モロッコでMV22墜落、2人死亡 】
2012年4月11日に海兵隊のMV-22、1機がモロッコの南方沖海上で強襲揚陸艦「イオー・ジマ」での訓練中、離艦後に墜落した。全搭乗員4名中、2名死亡、2名重症となった。3月29日にノースカロライナ州から派遣されて来た、第24海兵遠征隊(24th. MEU)揮下の第261海兵中型ティルトローター飛行隊(VMM-261)に所属していた当該機は、モロッコの演習地に海兵隊員を降ろした後の、現地時間4時頃に事故を起こした。

戦闘地域においては、確かに小回りがよく狭い場所での離着陸可能でかつ大量に輸送出来る理想の飛行機なのだろう。しかし広大な国土を持ち、訓練基地が広く人家には影響の出ない米本土の基地の感覚で、事実上、人家の中に存在する日本の基地内での輸送や訓練のために頻繁に飛行させることは、人命に対する危険性が非常に高いという違いについて理解させる必要がある。

へたをすると彼らにとっては日本国は、一つの基地のような感覚なのだろうから。悪気すらないのかもしれない。

たとえ、どのような相手国であっても、譲歩してはいけないこともある。

「国民の生命と安全を守る」という意味は、何も敵意のある相手からの攻撃に対してだけでなく、故意ではないふりをして大事故を起こしかねない欠陥品の飛行機を国民の領空を飛ばそうとしている相手からも守らなくてはならないのである。

王様に歯向かうのも、敵に歯向かうのも、確かに大変に難儀なことだろうが。
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2014年07月07日

予言の旅6

昔は夕立と言うと、ザーッと雨が強く降ってその後は涼しくなるお湿り程度だったが、最近のゲリラ豪雨は規模が違うので危険だ。

ノストラダムスの預言は、起きるとされている出来事に日付が書かれていないので、世界中で多くの解釈がなされてはいるが明確な答えが出せないという特徴がある。

不可能ではあるが、ノストラダムスご本人に詳しいことを聞かなければ、どの預言が現実に起きた事象と一致したのかは永遠の謎ということなのだが・・・

その中で、筆者も勝手な解釈をしている詩がある。

【百詩篇第二巻35番】
夜 火が家二棟を襲う
人間が何人かなかで窒息するか焼け死ぬかする
それは確かに二つの川の近くで起きる
太陽 射手座 山羊座がすべて光を失うとき(「ノストラダムス 予言集テクスト」さんより)

これを読んだ時2001年9月11日の9/11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)によって崩壊したワールドトレードセンタービルのツインタワーのことではないだろうかと感じた。その時は分からなかったが、詩にある「二つの川の近くで起きる」という部分が気になり、ツインタワーの位置を地図で調べてみたらハドソン川とイースト川という二つの川に挟まれていたので、驚いた。

この事件の発生時刻は、アメリカン航空11便が午前8時46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟(110階建)に突入して爆発炎上し、次にユナイテッド航空175便が午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上したとされている。

日付についてノストラダムスは「太陽 射手座 山羊座がすべて光を失うとき」と星図表で表している。当時使われていた占星術によるもののようで、これから日付を解読するには当時の専門知識が必要だと思われる。時刻に関しては、「夜」と言っているのが少し違っていて気にはなるが、ビジョンとしては酷似しているように思われる。

ただ、もしも預言通りの物事が起きていたとしても、これでは未来人への警鐘にはなっていないが残念だ。最大級の能力者をもってしてもこれが限界なのかもしれないが・・・
posted by WHO IS I ? at 20:01| Comment(0) | 妄想予言考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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